Act.01 |
「華。次の連休、暇?」 と、華がゆうきに問われたのは土曜日の夜のこと。 夕方近くにマンションを訪れた華は、仕事柄土日休みがほとんど無く矢張り今日も仕事だったゆうきの為に、食事の支度をして待っていたのだ。 そして、珍しいことに帰宅時間のかなり早かったゆうきを華が出迎えた時だった。 ―――次の、連休? 突然問われた内容に、華はちょっと首を傾げる。 来週の金曜は祭日。土曜日も休みなので、確かに華の学校は三連休となる。 だが華は今日、学校の友人たちとの予定をいれたばかりだった。 「日曜はあゆと早紀に会う予定、かな。」 「そうか。じゃあ金・土で温泉な?」 言いながら玄関に上がりこんだゆうきが、華の腰に腕を伸ばす。 ぽふんと華は、ゆうきの胸に抱きこまれていた。 「・・・お―――・・・温泉?」 突然言われた、その内容。 華は軽く身じろぎして、ゆうきの胸から顔を上げる。 なんでまた突然温泉なのかと、華が戸惑いを含んだ表情でゆうきを見上げた。 「そう、温泉。俺が急遽休めることになって、別件で連休中仕事になった会社の同僚がキャンセルすることになった宿泊先を譲り受けた。・・・無理?」 甘い笑顔で問われる。 しかし、華は即答できなかった。 もちろん予定も入っていないし、できれば行きたい。 なかなか休日の合わないゆうきと旅行にいけるのは本当に嬉しい。 でも−−−・・・ 「・・・母さんに、聞いてみてからでも、いい?」 そっとゆうきに尋ねた。 流石に宿泊の伴う旅行には、澄香の許可が必要だろうと思う。 おそらく反対されることは無いだろうが、それでも華はきちんと報告しておきたかった。 ああ、とゆうきが小さく声を上げる。 そして、悪い迂闊だったな、と華の頬をやさしく撫でた。 「澄香さん、帰ってきてるんだったな。」 「うん。今日の朝、帰ってきたの。」 ゆうきがからかうような軽いキスを華の唇に落とす。それを受けながら華が甘い吐息を漏らした。 その反応に小さく喉を震わせながらゆうきが笑う。 「華、可愛い。」 「・・・可愛くないもん。」 華は軽いキスに過剰に反応してしまった自分が恥ずかしくて、頬を染めながらちょっと拗ねたようにゆうきから視線を逸らした。 すると、ちゃりん、と何か金属質な音をさせた後、ゆうきの腕が解かれた。華の体が自由になる。 「じゃ、行こうか。」 「え?・・・え?」 −−−行く?どこへ?・・・え? 急にゆうきの腕の中から解放された華が困惑気味に見つめる先には、軽くあげられたゆうきの右手。 そこには、皮製のキーホルダーが付いた車のキーが握られていて。 −−−ひょっとして、家? 数回瞬きしながら、華が思い至る。そしてその結論は正解だった。 *** 比呂平家に着いた後、ゆうきはしっかり居間のソファに寛ぎながら華の淹れた紅茶を飲んでいた。 ゆうきの目の前には、にこやかな笑みを浮かべた澄香。 華はそんな二人の様子を見守るようにソファの間にあるテーブルの上に腕を乗せながら、直接絨毯の上に座り込んでいる。 「まあ、旅行?いいわね。気をつけて行ってらっしゃいね?」 同じく華の淹れた紅茶を口元に運びながら、澄香がゆうきの話した旅行の話に承諾の意を返した。 「はい。では連休中申し訳ありませんが、華をお借りしていきますので。」 「ええ、構いません。でも、ちゃんと無事に連れ帰ってきてね?」 「それはもちろん。」 ゆうきが笑みを浮かべる。それをまた笑顔で受ける澄香。 何がなんだかわからないうちに、華が見守る中でゆうきと澄香の合意は成立し。 こうして、華はゆうきと一緒に連休を利用した温泉旅行へと向うことになったのだった。 *** 連休の初日は、快晴。 海沿いの道路を車で進みながら、ハンドルを握るゆうきはちらりと華に視線を向けていた。 見事に晴れ渡った空を車中から眺めて華が眩しそうに目を細めている。 すると視線に気づいたらしい華が、ゆうきの方へ顔を向けにこりと笑いかけてきた。 「いい天気で良かったね。」 「日頃の行いが良いからな。」 にやりと笑いながら軽口を返したゆうきに、ええ?と言いながら華がおかしそうに笑う。 何気ない会話や華との間に流れる空気。 それらが、とても穏やかで充実した関係に二人がなっているとゆうきに教えてくれていた。 華に触れたくて、でもきっと触れたら止まらなくなると思っていたのはそんなに昔のことではない。 だが今は、存分に華に触れることができる。 待った時間は長かったが、それだけの価値はあったのだろうとゆうきは思っている。 「あ。」 不意に華が小さく声を上げた。 「ん?どうした?」 「ゆうきちゃん、あそこ。ちょっと車止めてもらってもいい?」 フロントガラス越しに、華が海沿いに設けられた駐車スペースの一つを指差す。 観光地に必ずあるような、何の変哲もない売店を併設したそこからは、どうやら海が一望できるらしい。 ふと笑いながらゆうきは華に承諾の返事をし、十数台分の駐車スペースへ車を滑り込ませた。 「華、何か飲む?」 嬉しそうに車を降りようとしていた華へゆうきが声を掛けた。 「えっと・・・じゃあ、ソフトクリームが食べたいな。」 僅かに考え、華が答える。 ゆうきはくしゃりと華の頭をなで「了解」というと車から降り売店へと向けて歩きだした。 店から出てゆうきが車に戻ると、華は車の近くで海を眺めていた。 連休中の為、人手はかなり多い。華と同じように海を眺めているのは、家族連れやカップル。 その間を縫うようにゆうきは華の背後から近づき「華。」と声を掛けた。 ぱっと振り向いて極上の笑顔で華がゆうきを迎える。 「ほら。・・・落とすなよ?」 そう言いながらゆうきが片手に持ったソフトクリームを手渡すと、華がちょっと口元を引き締めて「もうっ。子供じゃないもん。」と抗議してくる。 ゆうきはもう片方に持っていた自分用の珈琲を一口飲んで。 「わかってる。子供じゃないよな。」 華を女にしたのは他ならぬ自分、その意味合いを込めて意味深に低く笑った。 それに気づいた華が、頬を染め。「もうっ」と再度囁き、再び海へと視線を向けてしまう。 ゆうきは華の横に並び、晴れ渡った空の下、陽光を反射させる海を眺めた。 潮風が頬に当たる。 そういえばこうして海を眺めるのはどれくらいぶりだったろうかと、のんびりした気分のままゆうきは改めて自分が時間的余裕のない生活を送っていたのだと内心溜息を漏らした。 しばらく、口を聞かないままの時が過ぎ。 ふと横を見ると、華がゆうきを見つめていた。 「ん?」 声を掛けると、華がはっとしたようにゆうきから視線を外してしまう。 その様子にゆうきが僅かに片眉を上げ「はーな?」と呼びながら、そっと華の頬に手を掛けると、自分へと向き直らせた。 ちょっと困ったように華が目を伏せ。 「・・・んっと、ゆうきちゃんと出掛けるの久しぶりだなぁと思って。」 やや言いにくそうに答えた。 「ああ・・・そうだよな。・・・ごめんな、なかなか外に連れてってやれなくて。」 ゆうきが苦笑しながら、華に謝る。 確かにこのところゆうきのマンション以外で長く一緒にいるということは少なかった。 「あ。えっと、そういう意味じゃ無くて!私、気にしてないよ。お休み、なかなか合わないもん。」 華が慌てて片手を振りながら、否定する。 どうやらゆうきが気にするだろうと思って言い渋っていたらしい。 例え二人の休みが合った時でも、華からどこかに行こうということは滅多になかった。 おそらくゆうきが疲れているだろうからと遠慮していることはわかっているので、ゆうきの方から華を外に連れ出すようにはしているが。 それでも付き合いだしてからデートらしいデートをしたのはそう多い回数ではない。 −−−やっぱり同年代じゃないのは、こういう時に不利だよな。 そんなことを考えていると、僅かに腕に重みを感じた。 「本当に、気にしないでね。」 ゆうきが目を向けると華がゆうきの袖を軽く掴みながら、申し訳なさそうに見上げていた。 −−−もっと、我侭でも良いんだがな。 ゆうきは苦笑しながら、素早く華の唇に触れるだけのキスを落とす。 「っ!?」 華が驚きに目を見開きながら真っ赤になっていた。 「クリームがついてた。」 にっこりと笑顔でゆうきが華に告げると、「・・・本当?」とかなり疑わしそうに華が聞き返してくる。 もちろんこれは嘘だったので、ゆうきは笑いながら華の腰に手を掛けると、そろそろ行こうかと言いながら車に戻ったのだった。 *** 着いた先は、かなり山奥ながら、伝統と格式を感じさせる高級旅館だった。 入口では到着した客を出迎えるために女将、仲居、番頭らしき人々が立ち並んでいる。 想像していたよりも、かなり高級感溢れる旅館と、その出迎えに思わず華の足が止まった。 「すごいところだね。」 「キャンセルした奴、恋人と来るはずだったらしいから、大分頑張ったんだな。さ、行こう。」 ゆうきが苦笑しながら、華に進むよう促す。 華はこくりと頷き、旅館の入口へと足を進めた。 結局、海で車を止めた後もいろいろなところに寄ってきたため、時刻は既に夕刻となっている。 今日一日、正確には朝家を出てから。華はとても楽しかった。 子供の頃、親同士も仲の良かった比呂平家と瀬守家、それに叶家の皆でキャンプに行ったり旅行したことはある。 だが、こうしてゆうきと二人きりで旅行というのは、付き合い始めてから初めてだった。 −−−ちょっと、浮かれ過ぎちゃってるかも。 ゆうきと一緒にいられることが嬉しくて、少し浮かれ気味になっているかもしれないと華が思う。 −−−子供みたい・・・だったかな? 少し不安になり、フロントでチェックインをしているゆうきに視線を向けた。 でも、受付の人と言葉を交わしているその僅かに笑顔を浮かべた表情からは何も読み取れない。 そのまましばらく見つめていると、受付を済ませたゆうきが華の元へと戻ってきた。 「行こうか。」 ゆうきが荷物を持ち、華の背に手を掛ける。 華は、既に暮れ始めた陽の差し込む丁寧に磨きこまれた廊下をゆうきと共に歩く。 そして、隣にいるゆうきを見上げ、華はこの状況に緊張しているらしい自分を感じていた。 *** 旅館の仲居に案内されながら、一旦本館から出て石畳の路を歩いて華とゆうきがついた先は、離れ。 離れの中は、二部屋に仕切られていた。一部屋十畳ほどのその中は、歴史を感じされる内装が施され、とても落ち着いた雰囲気だった。 「静かだね。」 華が、ぽつりと呟く。 一通り部屋の説明を終えた仲居が退室してしまった後、華は部屋の一角を占める窓辺にいた。 「そうだな。離れは何棟かあるらしいが、一棟ごとの間隔が大分広いみたいだからな。」 窓の桟に手を掛けて、背後から華を抱きこむような形でゆうきは窓から外の景色を眺める。 目の前に広がる奇麗に手入れのされた庭。澄んだ空気と、色濃い緑の香り。 確かにこれはかなり張り込んだなとゆうきは、情けなさそうにキャンセル料について泣き言を言っていた同僚の顔を思い出していた。 かなり高額な宿泊費。当然キャンセル料も結構な額なのだ。 あまりにもその様子が哀れだったので、ゆうきはつい自分が使うからと助け舟を出してしまったのだが。 恋人とはかなり長い付き合いだと言っていたことを考えると、もしかしたら今日結婚でも申し込むつもりだったのかもしれない。 そう思うとやや申し訳ない気もするが、華の楽しそうな様子を見るにつけ矢張りきてよかったと思っていた。 腕の中に華の暖かさ。ゆうきは華の髪に口づける。 そのまま首筋、肩口・・・へとキスを落とす。 と、急に華がそわそわとしだしたことに気づいた。 「えっと。・・・あ、あっちお風呂なんだよね?」 どこか困惑したような笑顔を浮かべ、するりとゆうきの腕の間から抜け出てしまう。 ぱたぱたと目に付いたらしい扉へ向う華。 その後ろ姿見つめ、ゆうきは髪をかきあげながら、窓の桟に寄りかかった。 早く華に触れたい。甘い吐息を感じたい。自分を求めている姿を見たい。 まるで発情期でもあるかのようなその状態。 自分の制御できない思いに、ゆうきはやれやれと溜息を落とす。 そんなゆうきの耳にからりと扉の開いた音が響いた。 「あ。すごい。露天のお風呂ー。」 続いて聞こえてきたのは、華の嬌声。 ゆうきは苦笑しながら、窓の桟より身を起した。 開いたままの扉を潜った先は脱衣所だった。ゆうきの潜った扉以外に、脱衣所にある扉は二つ。 そのうちの一つが内風呂。これは先程の仲居が説明済みである。 そして、もう一つ。華により開かれたのであろう扉から覗くのは、竹柵で覆われた屋根つきの岩風呂。 湯気のあがる中。華が片手でぱちゃりと湯に手をつけていた。 「・・・一緒に入ろうか?」 脱衣所から浴場につながる扉に片手をかけたまま、ゆうきが華に声をかける。 驚いて振り向いた華の頬が朱色に染まった。 その様子に思わず笑みがこぼれる。 見守りながら返答を待っているゆうきに、華が戸惑いがちに、けれど確かに小さく頷いた。 |
Back ‖ Next |
:: top * novel :: |
Copyright (C) 2003-2006 kuno_san2000 All rights reserved. |